◆1999年1月第1週のぶりてんコラム◆




1月8日号 NO.211
『NYウエイター物語』〜開店5〜
 奥からズンズンという足音が聞こえ、ロッテンマイヤー・カトウだけが 戻ってきた。
 彼は、私とメグロ氏とカヨちゃんの前を通過し、手を挙げて言った。
 「こちらへどうぞお!」
 年配のオヤジを先頭に、その後にやはり同じくらいの年齢のオヤジがふた り、ケツのふたりは30代後半のように見えた。彼らがこちらに向かって歩 いてくる。
 「いらっしゃいませ」
 まず入口近くのテーブルのところに立っていたヤマモトくんとヨシくんが そう言い、次にカウンターの中の板前さんたちが「いらっしゃいませ」。そ れにちょっと遅れて、カウンターの客にウーロン茶を出したばかりのチヨさ んが「いらっしゃいませ」、そして私の横にいるメグロ氏とカヨちゃんが 「いらっしゃいませ」と言った後、私は小さな声で言った。
 「いらっしゃいませ」
 日本人男性5人が私の前を通り過ぎる。誰も私とは目をあわせなかった し、あわせようともしなかった。
 何やら彼らとの間にある種の壁を感じた一瞬だった。
 奥からタミちゃんの「いらっしゃいませ」という声が聞こえてきた。それ にロッテンマイヤー・カトウの「それでは、ごゆっくり」という声がかぶさ る。
 大股で戻ってきたロッテンマイヤー・カトウは、店の入口のほうと見る と、すかさず早足で歩き始めた。
 そこには、日本人の女性が立っていた。
   「ほら、来たよ」
 メグロ氏が言った。
 「あれがそのハイネケン女なわけやね」
 その女性のことをまるで怪獣のような名前で呼ぶカヨちゃんだった。
 「いらっしゃいませ」
 再びその言葉がいろんなところから聞こえた。
 カウンターの男性は、その声に少しピクリとして振り向こうとしたが、 そこには仕切りがあって店の入口部分は見えなかった。
 「はい〜、いらっしゃいませ」
 そう言いながら、ロッテンマイヤー・カトウがその女性に接近する。
 何かふたこと、みこと交わした後、彼はその女性をカウンターのほうに案 内した。化粧がやたらと濃い女性だった。年の頃は24、5か。
 ステーションに戻ってきていたチヨさんが、再びおしぼりを一本取り出し ながらメグロ氏に言った。
 「あれがその彼女なんでしょ、メグロさん」
 「そう。ハイネケンで来るよ」
 彼女は、カウンターのイスに座ろうとしていた。男性のほうが何か言った が、私のいる場所からは聞き取れなかった。でも彼女がそれに対して何も返 事をしなかったのは確かだった。
 「ふ〜ん、ハイネケンねえ」
 パタンとおしぼり保温器のドアを閉め、チヨさんはカウンターの端にチョ コンと座ったふたりのほうに歩き始めた。
 その時、座敷のほうから誰かが歩いてきた。座敷に入った客の若いふたり のうちのひとりだった。彼は私たちの前を通り過ぎ、店の入口へと向かっ た。
 チヨさんは、その女性におしぼりを手渡そうとしていた。そんなチヨさん に気がついて、壁側に座った男性のほうから振り向いたその女性と、そこを ちょうど通り過ぎようとしていた座敷組のひとりの視線が偶然あった。
 ふたりの間で一瞬時が止まるのが私にはわかった。
 他のウエイター、ウエイトレスたちもそれに気づいた。
 ひと呼吸置いてその男性が言った。
 「よお」
 彼女の表情は凍り付いたままだった。
 そして彼は何事もなかったかのようにそのまま入口へと向かった。彼女は 両手を静かに口にあてた。
 広げたおしぼりをブラブラさせたまま、聞きづらそうにチヨさんが言っ た。
 「あの〜、お飲み物は・・・」
 ちょっと間を置いて彼女が応えた。
 「シーバスの水割りを・・・」
 「ハイネケン女がいきなりシーバス女か」
 横のカヨちゃんがボソリとそう言った。
                     ひろ
 


1月5日号 NO.210
『NYウエイター物語』〜開店4〜
 その30前半のビジネスマン風の日本人男性は、カウンターの店の入口に 一番近い席に座った。
 ロッテンマイヤー・カトウが、カウンターの中のミツイシ氏と私たちウエ イター・ウエイトレスに向かって「おふたり様お願いします」と言っていた から、おそらく後で連れが来るのだろう。
 そう言えば、さっきメグロ氏が、あの男は不倫してるのどーのこーの言っ てたな。その相手が来るのだろうか。
 おそらくカウンターのその辺りの担当と思われるチヨさんは、客が席に着 くなり、ステーションにある冷蔵庫のようなもの、実はそれはおしぼり温め 機だったのだが、その中からおしぼりを一本取し出し、ビニールの袋を破 り、それを光沢のある黒いおしぼり置きに乗せて、客のところに持って行っ た。
 おしぼりをストンと開いて、客に手渡ししながらチヨさんが言った。
 「お飲みものは何にしましょう」
 彼がそれに答える前に、私の横でその様子を見ていたメグロ氏がポツリと 言った。
 「ウーロン茶」
 「ウーロン茶ください」
 その男性が言った。
 「はい」
 チヨさんは、おしぼり置きをカウンターに置きながらそう応え、そのまま バーのほうに歩いて行った。
 「なんでわかったんです?」
 私は隣りのメグロ氏に聞いた。当然、ウーロン茶についてだ。
 「いつもそうなんだよ。で、相手の女はいつも最初はハイネケン、そして 水割り」
 「へ〜」
 「メグロさん、よくそんなん覚えてるよね。ヒマなんちゃうん」
 それまで何も言わなかったカヨちゃんが関西訛りをきかせながらそう言っ た。
 「うるせえ。お客さんのオーダーを覚えんのがウエイターの仕事だろ」
 「そぉかあ〜」
 「そうだよ」
 「ま、ええけど」
 その時、ロッテンマイヤー・カトウの「いらっしゃいませ〜」という声が 店の入口のほうで響いた。
 「いらっしゃいませ」
 「いらっしゃいませ」
 板前やウエイター、ウエイトレスたちの声がそれに応える。
 黙っていた私にカヨちゃんが言った。
 「ヒロくんいったっけ? あのな、お客さんが入ってきたら”いらっしゃ いませ”っていわなあかんよ」
 「あ、はい」
 「じゃあ、教育係はカヨに任せるか」
 それを横で聞いてたメグロ氏が言った。
 「ナニ言うてんの。メグロさんやってや」
 「タミちゃん、用意できてる?」
 私たちの前の通り過ぎながらロッテンマイヤー・カトウがキッチンの中に いるタミちゃんに声をかけた。
   「はい」
 そう言いながら暖簾の向こう側から現われた彼女に、ロッテンマイヤー・ カトウは機関銃のようにまくしたてた。
 「御座敷5名様、でもプリシアターだから7時半には出ていくから。い い? 今日は御座敷2回転だよ。じゃあお連れするよ、いい? いい?」
 「はい。ちょ、ちょっと待ってください」
 「予約は5時45分に入ってるんだから。早くして」
 「はい」
 タミちゃんは御座敷のほうにパタパタと走って行った。それを追うロッテ ンマイヤー・カトウ。
 店の入口のほうを見ると、日本人ビジネスマンらしき男たちが数人立って いた。その彼らにカウンターの一番入口寄りにいるミツイシ氏が「もう少々 お待ちください」と声をかけた。
 カウンターにはまだ店長の権藤さんの姿は見えなかった。
                     ひろ
               

「ぶりてんNuts」編集部


Return to Home Page