◆1998年7月第5週のぶりてんコラム◆




7月31日号 NO.172
『ニューヨーカーへの道』〜友達探し3〜
私は、口でナイスなことを言う人間というのがあまり好きになれません。信 用できないんです。
性善説というのと性悪説というのがありますね。私は断然後者を信じます。 いや、信じるというわけじゃないんですけど、なんとなーくそんなふうに感 じてる自分がいるのであります。
だから、私は、初めて人に会う時、無意識のうちに「こいつはどのくらい悪 いヤツだろうか?」と考えています。
もしその人が非常にナイスだった場合、私は「うむ、こいつ、なかなか正体 を見せんのう」てなふうに感じて、厳重に警戒します。
もしその人が超毒舌だったり、超性格悪かったりした場合、私は「ほほ〜、 やりますなあ。こいつは信用できる」と喜んでしまうのであります。
要するに、相手の一番ボトムの部分をとりあえず見てみたいのです。
私は、ナイスな人物と一緒にいると、下が底無しの断崖絶壁に立たさせてる ような気がします。「どこまで落ちていくかわからん」という恐怖感です ね。
反対に、最初から強烈な部分を露出させてくる相手といる時は、「さあ、 これから登ぼるだけだ(=いいとこ探し)」と気持ちが楽になるのです。
あたしって、オカシイでしょうか。
私の場合、この法則(ナイス・パーソン=信用ならん、バッド・パーソン= いい感じ)を自分が出会うすべての人に、無意識のうちに当てはめてるよう です。
アメリカ人の友達が少ないのもそのせいかな、と考えないこともありませ ん。アメリカ人って、最初結構ナイスじゃないですか。ナイスで来られちゃ うと、どうしても警戒しちゃうんですよね。
だからといって、アメリカ人と比べると最初あまりナイスじゃない日本人が 好きというわけではありません。私が好きなのは、あくまでも「最初から強 烈な部分を露出させてくる相手」でありまして、日本人によくある「何もし ないコミュニケーション全面降伏無表情」パターンもちょっと苦手なのであ ります。
「何を言ってるんだい。広い心を持って、いろんな人と付き合ったらいい じゃないか。人間をもっと信じろよ」と、わたくしに熱く語りかけたい方も いらっしゃることと思います。
でも、それは余計なお世話よ。
私は、自分のステイタスを上げるために誰かと友達になったり、チャリ ティー&ボランティア精神で人と付き合うことを「悪」だと考えています。
付き合いたい人間と付き合う。それが精神衛生上、ベストではないかと思う のです。
場所や人種は関係ないんじゃないですかね。例えば、「アメリカに来たんだ から、アメリカ人の友達作んなくっちゃ」とかです。
ただこれは、「アメリカ人の友達なんてできないから、日本人の友達作 ろー」という論理をサポートするものではありません。相手が日本人でも、 そいつが付き合うに値しない人間だったら、一緒にいる必要はないんじゃな いでしょうか。
でもね、結局、私が、「第一印象ナイス人間」を嫌うのは、自分自身が「第 一印象ナイス人間」だからなのかもしれません。そのナイスな表皮の奥に隠 れてるダークな正体の存在を自分では認知しておるわけでして、そんな私の パターンを、他の「第一印象ナイス人間」にも無意識のうちに重ね合わせて 見ているように思えます。
元遊び人のパパが、現役遊び人のムコを嫌うみたいなものです。「あいつは 信用ならん。だってワシもそうだったから」
それでも私は、「第一印象ナイス人間」が嫌いです。
皆さん、私に初めてお会いになる時は、ラフな対応、よろしくお願いいたし ます。
                       徹



7月30日号 NO.171
『NYウエイター物語』〜寿司政の人々4〜
権藤さんは、「じゃあ、着替え終わったら上にいてね。まだオープンまで結 構時間あるからさ」と言って再び地上へと戻っていった。
私は、荷物をロッカーの中に置き、ビニール袋からユニフォームを取り出し て、ゴソゴソと着替え始めた。
寿司政のウエイターのユニフォームは、白いワイシャツに黒のベスト、下は 黒のパンツ、それに蝶ネクタイというものだった。
こんなカッコして働くのは生まれて初めてだ。
白いワイシャツなんか着るのも久しぶりだった。新品のシャツは、ノリが きっちりきいていて気持ちよかった。
ジーンズを脱いで黒のパンツにはき替える。それから、黒のベストをつけ、 最後に蝶ネクタイ。
なんか照れ臭い。やっぱりこの蝶ネクタイっていうのがいかんのだろう。な んとなくお調子者って感じがして、こっぱつがしい。
そんなことを考えながら、荷物をまとめ、ビニール袋の底に入っていた黒の 革靴を取り出して、残りをロッカーに押し込んだ。
ガシャン。
横のボブちゃんは、相変わらずウォークマンに聞き入っている。
靴をはいた後、私は一度付けた蝶ネクタイとワイシャツの一番上のボタンを をはずし、その蝶ネクタイを右手に持ってクルクル回しながら、この更衣室 兼物置き場に来た道を引き返した。
さっき権藤さんと降りてきた階段のところに2つドアがあった。ひとつには 「REST ROOM」というプレートが貼り付けてある。もうひとつのドアには何 も書いてなかった。
そのドアに何気なく近づくと、中から人の声が聞こえてきた。女性の声だ。 中年のおばさんらしき人が笑いながら何か話している。
おそらくこの部屋はウエイトレス用の更衣室なのだろう。
それにしても、デカイ声だ。これじゃ、外に筒抜けじゃないか・・・と、そ の時、おばさんの口調が変わった。
「ねえねえ、タミちゃん、聞いてよ。あのさ・・・」
急に真剣かつ小声気味になったおばさんであったが、それでもまだ声はデカ かった。
私は階段を昇りそうになりながらも、なんとなくそのおばさんの口調に惹か れるものがあって、その場にステイした。
「今日、朝、レキシントンの駅のとこでさ、え? 51丁目のとこよ。10 時半ぐらいだったかな。いつもあそこって、ベーグルのカートがあるじゃな い。あたし、いつもあそこでベーグル買うんだけど、で、買ってたわけよ、 今日も。そんで、そんでさ、買った後、ちょっと横を見たのよ。こんな感じ で。そしたら、タミちゃん、ヤダ、知ってる〜? 何があったか。黒人の ホームレスがいてね、上半身裸で、下はズボンはいてたんだけど、アレ、ア レ出してんのよ。前から。で、手でこんな感じで握って、それしごいてんの よ〜」
「え、ヤダ〜」
「ヤダじゃなくって、ホントなんだから。で、聞いて、聞いて。それがすん ごい大きかったのよ。ホント。このくらいあったんだから。太さはこのくら いかな。あんなの初めて見たわよ。思わず立ち止まっちゃってさ」
「もうヤダ〜、チヨさん。じっと見てたんでしょ」
「あら、なんでわかんのよ。あっはっは・・・」
私は足音を立てないように、ゆっくりと階段を昇ぼり始めた。
                       ひろ



7月28日号 NO.170
『たわごとコラム』
それにしても、アメリカのマスコミは、今回の自民党総裁選について、やた らとウダウダ言ったのう。
特にニューヨーク・タイムズは、日本の政治家のことをボロクソに書いてい た。
またそれを日本のマスコミがありがたがって掲載するもんだから、アメリカ のマスコミがますます調子こいてしまうのである。
アメリカに住む日本人の中で、ニューヨーク・タイムズは結構評判が悪い。 なぜなら、やたらと片寄った日本の描写を報道するからだ。
例えば、「日本の男は絶対にその妻に向かって”アイ・ラブ・ユー”とは言 わない」などをいうことを平気で書いてしまうのである。
「そんなもん、文化が違うんだからしゃーないだろうが」という視点はほと んどない。有無を言わさぬ決め付け攻撃である。
だから私は、ニューヨーク・タイムズというのは、ミニコミの一種だと考え ている。人々は、その体裁や権威とやらにごまかされがちだが、基本的なノ リはミニコミである。あの盲目的な報道のやり方を見ていると、つくづくそ う思ってしまう。
そのミニコミを日本のマスコミはありがたがってるんだから、涙が出てくる でないの。
日本のマスコミは、少しは言い返そうという気にはならないのか。彼らは、 いつまで敗戦国根性を引きずり続けるのだろう。
「今回の総裁選は、海外のメディアも非常に興味を持って見ていた」などを 喜んでる場合ではない。本来は、あなたたちマスコミがそういう日本の情報 を海外に向けて積極的に発信すべきなんでねえの。
そんなこんなで、「Nutsも英語版出さんといかんねえ」という話になるのだ が、なんでNutsのようなちっぽけなミニコミがそういう心配までしなちゃい けないワケ?
日本のマスコミの皆さん、ニューヨーク・タイムズっていうのは、実を言う とミニコミなんです。そのことを自分に言い聞かせてください。
物事の本質を見ずに、建て前や肩書きで判断する皆さんのことですから、一 度「ニューヨーク・タイムズってミニコミなのよ」と自分を信じ込ませるこ とができたら、あとは楽勝です。
ほら、馬鹿にしたくなってきたでしょう。そうそう、その調子で見下だして みてください。
相手は所詮ミニコミです。反対に皆さんはマスコミなんですから。
健闘を祈ります。
                       ひろ



7月26日号 NO.169
『ニューヨーカーへの道』〜友達探し2〜
ところで、オタク、アメリカ人の友達います?
あ、そう。あんまりいないと。
そんじゃ、日本人の友達はどう?
日本人の友達は結構いるのね。
他の国の人たちは?
ボチボチって感じね。
ちなみに私は、アメリカ人の友達及び他の国の友達はほとんどおりません。 1名だけ親友と呼べるアメリカ人がおりますが、他は全滅です。
別に友達を作らないようにしてるわけじゃないんですけど、なんか気の合う 人がいないんですよね。
これは日本にいる頃からそうでして、正確にはガギの頃から友達が少なかっ たような気がします。わたくし、基本的にあまのじゃくですから。
ですから、アメリカに来たら言葉とか文化の問題があって、もーっと友達が できづらいんですよね。
でも、無理して友達作っても、その管理だけで疲れてしまいますし、究極的 に言い切ってしまいますと、時間の無駄だと、わたくし、考えております。
だから、簡単には友達になりません。特にアメリカ人や他の非日本人に関し ては、友達審査が厳しくなります。文化の違いや言葉のせいでその人の実像 がわかりづらいからです。
ただ、可能性とすれば、アメリカ人の中に人生で一番の親友を見つけること もあります。実際、私の場合もそうでした。
結局、私が思うに、友達というのは、「お互いにリスペクトできる関係」と いうのがベストなカタチなのではないでしょうか。
それには、人種も言葉も文化も関係ありません。また、単に相手がアメリカ 人だからリスペクトするっていうのもおかしいですよね。
最終的には、その人の本質の問題になります。
ニューヨークのような街にいますと、いろんな人たちに出会います。まわり に知り合いが山のようになった時、誰とどう付き合っていいかわからなく なった時、そして日本人の友達とアメリカ人の友達を天秤にかけそうになっ た時、この「お互いにリスペクトできる関係」というのを考えてみたらどう でしょうか。
自然と、誰が自分にとっての友達であるかがわかると思います。
え? そんな人が誰もいない?
そうですか。
その場合は、単にあなたが嫌われ者なだけなんです。気にしないでくださ い。
これからも強くひとりで生きていくんですよ。
                       徹
               

「ぶりてんNuts」編集部


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