◆1998年5月第4週のぶりてんコラム◆




5月29日号 NO.151
『たわごとコラム』
インターンの話である。 うちの会社では、今、日本人学生のインターンを積極的に採用している。現 在のインターン数は6名。この夏はまだまだ増える予定だ。
ただ、たま〜になかなか手ごわいインターンに遭遇したりする。
A子ちゃんは、ニューヨークの英語学校に通っていた。
他の会社では、普通、英語学校の学生はインターンとしては採用しないのだ が、うちの場合、ヤル気さえあれば差別はしない。
というわけで、我が社で働き始めたA子ちゃんなのであった。
初日はよかった。二日目もよかった。しかし、三日目、彼女は現われなかっ た。そして四日目も彼女は現われなかった。
「あら、A子ちゃん、どうしたのかしら?」とインターン担当の私は彼女の家 に電話したのである。
チリリリリン。ガチャ。
誰かが電話に出た。
「ハロー」
日本人の女性の声。
「もしもし?」
「・・・・(シーン)」
「もしもし?」
「・・・・(シーン)」
「あれ? もしもし?」
ガチャン。
そのまま電話は切られた。
私は受話器を置いて、そして拍手した。
「すばらしい!」
こういうある意味で無礼な人物に遭遇したのは、これが初めてだった。
腹は立たなかった。ただただ、「こういう人って、ホントにいるのね」と妙 に感心してしまったのである。
で、私は再び電話をかけた。
しかし、今度はだれも電話を取ろうとはしなかった。
それから数週間後のある日。
私はイースト・ビレッジのセント・マークス・プレイスをサード・アベ ニューからセカンド・アベニューに向けて歩いていた。
その時である。誰かが私の10メートルほど前を全速力で横切ったのだ。
「な、な、なんだ?」
スピードを落とさずにスカート姿で走り去りつつその人物の後ろ姿を見る と、アラマ、A子ちゃんじゃないの。
おそらく彼女は私の姿を見つけ、「げ! やべえ」とスタコラサッサ駆け出 したのだろう。
彼女を追いかけるために私も走りだし、2ブロック目で彼女に並び、 「ヨッ!」と声をかけてそのまま彼女を抜き去った、というのはウソで、実 際は小さくなってく彼女の後ろ姿をニヤニヤしながら見つめていたのであ る。
今度会ったら、追いかけて「ヨッ!」って言ってあげよ。
おどろくだろうなあ。
ホントに世の中、いろんな人がいるよね。
自分も含めて・・・
                         ひろ



5月25日号 NO.150
『たわごとコラム』
昨日は死ぬほどいい天気でしたのう。
というわけで、私もかみさんと一緒に散歩に出掛けたのである。
散歩と言ってもかなり距離のある散歩だった。
7丁目からファースト・アベニューをただただ下だる。 ハウストンを越え、デランシーも越え、チャイナタウンに突入。 そのままサウス・ストリート・シーポートまで。
イースト・リバーでは、ボートやヨット、そしてジェットスキーなどがは しゃいでいた。
特にジェットスキーは、かなりのはしゃぎようで、ブンブン蝿のようにうる さかった。
で、戻りはブロードウエーを下からまくり上げるように歩いて帰ろうではな いか、という話になり、私たちは観光客たちを押し退けて、西へと向かった のである。
私たちが歩いていたのは、フルトン・ストリートだった。
さて、ブロードウエーまでもう少し、というところまで来た時、かみさんが 「このお店に入ってくるから、あんた、ちょっとここで待ってて」と突然の たまい、あるブティックの中に消えてしまったのである。
「しょうがねえな」と私は道の反対側をなんとなく見た。するとそこには日 本語の看板があった。
「ふむ?」
その看板を凝視した瞬間、私は自分の記憶の中の「沖縄」というファイルを ペラペラめくり始めていた。
そう、私は確かにそのサインを見たことがある。それは沖縄の宜野湾、海側 じゃなくて、琉球大学の近くの丘の上にあったサインと同じものだった。
「養老乃瀧」
フルトン・ストリートにひとつ突っ立っている私の目の前には、あの「養老 乃瀧」があったのである。
「なんと!」
私はあわてて道を横切り、その店のショーケースにへばりついた。
間違いなく、あの居酒屋チェーンの「養老乃瀧」だ。マンハッタンの日本食 レストラン事情については、かなりの情報収集力を持つと自負していた私 だったが、今回は完全にやられたようだった。
「し、し、知らぬ間に・・・」
そんなことを心の中でブツブツ言いながら、私は営業時間を確認すると、日 曜は午後4時からではないか。時計を見ると、まだオープンまで2時間ほど ある。今日いきなり食ってくわけにはいかない。
そこで私はドアのところにあったテイクアウト・メニューをひとつ抜き取 り、そのお値段をやらを吟味したのである。
揚げ豆腐$2.95 冷や奴$2.95 立田揚げ$3.50
基本メニューはなかなか庶民派に訴えかけるお値段であった。
それさえわかれば、私には十分である。店の住所、106 Fulton Street(b/w Nassan & Willian)を確認して、私はその場を去った。
メニューを家に持ち帰って、ナメるように読んだところ、この日、私が遭遇 した店が、アメリカで初めての「養老乃瀧」であることが判明した。
また、「養老乃瀧」では今後もアメリカでの支店展開を本気で考えてるよう なことが明記してあった。
うむ、頼もしい話である。
いやいやいや、まさか、ニューヨークに「養老乃瀧」があるとは・・・
私としたことがまったくの不覚であった。
というわけで、皆さま、ニューヨークに「養老乃瀧」ができました。タタ ミ・ルームもあるらしいですから、みんなで一度行ってみましょうね。
それにしても、久々に充実した日曜日だったなあ。
                      ひろ



5月24日号 NO.149
『ニューヨーカーへの道』〜学校へ行こー6〜
さて、そろそろ英語学校を離れて大学に行くことにしましょう。
わたくし、以前ニューヨークの大学に通っておったのですが、日本で「よ〜 し、ニューヨークに行くぞー」などと考えておった頃は、ニューヨークの大 学に通うことになるなどとは思ってもみませんでした。
とりあえずF-1取って、「いや〜、いい気分ですなあ」などとゆくって(沖縄 の方言で”くつろぐ”でございます)おりましたところ、ちょっと手を延ば せば届くところに「大学」という教育機関があったのであります。
私のポイントは、「ちょっと手を延ばせば届くところ」ですね。これがとっ てもインポータントなのであります。
もしその舞台が「日本」で、私がそこで日本語を勉強する「中国人」だった ら、「おや、こんな近いところに大学があるじゃないの。語学学校にも飽き たし、気分転換に大学にでも行ってみるか」なんてことは、ほとんど不可能 なんじゃないかしら、などと考えてしまうのですがいかがなものでしょう か。
例えば、ニューヨーク市立大学(CUNY)に入るためには、試験を受ける必要 はありませんね。TOEFLの点数が500点以上あれば入れるのであります。 うれしいじゃありませんか。
ただ、CUNYの場合、入学申請の書類の処理などが旧ソビエト連邦的にチンタ ラしておりまして、その辺に関して少し忍耐力が必要となりますが、こちら のスーパーマーケットに行って、ウダウダしてお客の列を限りなく長くして いるレジのおねえちゃんに日々遭遇している方であれば、なんてことはない のであります。
なにはともあれ、こちらの大学には軽い気持ちで入学可能なのであります。
わたくし、これまでにさまざまなタイプの日本人留学生を見てまいりました が、その中には「この人は、日本にいたら一生大学なんか行かなかっただろ うなあ」と思う人もいました。
日本の大学に入るためには、基本的に試験を受けるねばなりません。それに CUNYなんかに比べて授業料も高いですしね。
また、世の中には、学校とか勉強が嫌いな人が存在しております。まさに、 わたくしがそのいい例なのであります。
ところが、ここニューヨークでは、”あの”大学がすぐそこにあったりする じゃないですか。
「ちょっとオレも大学行ってみようかな」
そんな感じで大学に行き始めるのです。
で、意外なことに、そういう人ほどしっかり勉強したりして、おそらく大学 に行けるなんて思いもしなかったのに、実際に行けてるんだから、そのオポ チュニティ(機会)を十二分に生かさないとバチが当たっちゃうわ、的な思 考があるのかもしれません。
そういうタイプの人でマスターまで行った人をわたくし存じあげておりま す。
彼らのことを考えると、なんかちょっと小さめの「アメリカン・ドリーム」 みたいで、わたくしはかなり心地よい気持ち具合なのであります。
でも、私の場合は、それでも学校と勉強が嫌いで、授業中に司馬遼太郎の小 説を読んでおりました。
ナチュラル・ボーン・勉強嫌いなんですね。
ハッハッハ・・・・・
あ〜あ。
                          徹

「ぶりてんNuts」編集部


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