◆1998年3月第1週のぶりてんコラム◆




3月6日号 NO.116
『ニューヨーカーへの道』〜最初の基地探し〜
ニューヨークでのあなたの最初の基地、つまりネグラのことを覚えてます か。
ホテルから入る人もいます。また、ウィークリー・マンションやYMCA、ユー スホステルなどからスタートする方もいますね。
私の場合は、大学の寮が最初のネグラでした。
夕方、JFKに着き、そのままお迎えのバンに乗って寮の玄関で下ろされまし た。
ちなみにそこは、スタッテン・アイランドのワグナー・カレッジという小さ な大学でして、その中にある「ESL」と間違いやすい「ELS」という名前の英 語学校に私は入学したのでした。
今でもあの夜のことは覚えています。
え〜と・・・・・・・・
そうそう、いきなり寮の管理人みたいな人のところに連れていかれて、カギ とシーツを渡されたような気がします。
その人が話す英語がなかなか聞き取れなくて、「あたし、これからが不安だ わ」という気分になったかといいますと、そうではなく、「英語わからんけ ど、まあ、なんとかなるわい」というひじょーに脳天気な私なのでありまし た。
私がニューヨークに来たのは、英語を勉強するためでも、大学に行くためで もありませんでしたので、英語に関する変なプレッシャーはなかったんです ね。
部屋に行くと、なにやらココロが寒くなりそうな乾いたスペースにベッドと 机がふたつずつポツンポツンと置いてあり、ひとつのベッドと机の上には、 人の存在を感じさせる物たちが転がっておりました。
ルームメイトがいたのです。
でも、彼(当然ね)の姿は見えませんでした。
とりあえず、バッグを自分のベッドの上に置いて、机のところにあるイスに 腰をおろしました。
そして、私はこんな独り言を言いました。
「あ〜あ、とうとう来ちゃった」
その時、鼻の奥にツーンとした感じが走りました。
そうです。あの感じを私は今でも覚えているのです。
                        徹



3月5日号 NO.115
『NYC Traffic Jam』
六番の地下鉄を使ってマンハッタンを下る。
ソーホーを通り過ぎカナルストリートの駅から地上に出ると、目の 前に少し違ったニューヨークが広がっている。
漢字の看板が道の両側を飾るカナルストリートは、中国系アメリカ 人達の経済基盤であるチャイナタウンのシンボルだ。そこは年々拡 大し、以前から存在するリトル・イタリーやロウワーイーストサイ ドを侵食し続けている。
このチャイナタウンが常に活発である理由は、大陸、香港、台湾な どから、常に移民という新しい血が流れ込んできたからだ。
The New Chinatownの著者であるPeter Kwongは語る。
1965年の改正により、移民法はアメリカ史上類を見ないほどリ ベラルになった。
アメリカ政府は、市民権を取得した人々の親、子供、兄弟などを移 民として受け入れる事を許し、そして彼らの生活保証などを約束す る。彼らは、これによって新しい移民がアメリカに流入して来るこ とを望んだのだ。
しかし、彼らはすべての移民を期待したわけではない。
アメリカ政府は考えていた。それまでにアメリカにいた多くの中国 人は、1800年代に労働力として輸入された人達である。それ以 降の移民は、1875年のPage Actや1882年の Chinese Exclusion Actなどにより、ほとんど不可能になった。それゆえ、 彼らに呼ぶことのできる親、親族はいないであろう、と。
彼らは、この改正により入ってくる移民はヨーロッパから、と予測 していたのだ。いや、ヨーロッパからの移民を受け入れるために、 アメリカ政府は移民法を改正した。
しかし、事実は彼らの期待を裏切る。
予想していたヨーロッパからの移民は来ることはなく、その代わり 中国、アジアなどから多くの学生が勉学という目的で、アメリカの 地を踏んだ。
彼ら留学生は卒業後、アメリカで働きグリーンカード、市民権を取 得する。そして、1965年の移民法を利用し彼らは家族を自国か ら呼び寄せた。その結果、1965年以降、第三世界からの移民が 増え続けることになる。
これは、アメリカにとって大きな誤算だった。自分達の理想を追求 すべく、移民法を改正した。しかし、そのリベラルであった移民法 自体により、彼らの社会は理想から大きく離れていくことになった のである。
そして、2年前の1996年、アメリカはこの現象を止めるべく、 再び移民法改正に踏み切る。アメリカは自分の理想を取り戻そうと 、自国の再編成に入ったのだ。
これらの影響は、まだチャイナタウンには訪れていない。今までの 移民が、いまだ新しい細胞として、この街の活性化に役立っている からだ。
しかし移民という新しい血が断たれた現在、チャイナタウンは静か に、老化を始めた。
この街も、リトルイタリーと同じ道を歩む運命にあるのかもしれな い・・・。
MediaBlitz



3月4日号 NO.114
『たわごとコラム』
昨日、奇妙な風景を見た。
45丁目とレキシントンの交差点近くにあるマクドナルドに入った時のこと である。時刻は、午後8時過ぎ。店内には、わずか数人の客しかいなく、ま たその全員がテーブルにひとりで座っていた。
その景色を見た時、私の脳裏にこんな思いが走った。
「なんか変だぞ」
よく見ると、その数人、正確には6名の非日本人客の中の4名までが、通路 を背に、壁に向かいながらビックマック等にかぶりついていたのである。
彼らは別に外の景色を眺めていたのではない。彼らの目の前にあるのは、紛 れもない単なる茶色いカベであった。
つまり、彼らはその無防備な背を通路側に向けていたのである。
「こやつら、スキだらけではないか」
私はそう思った。
私にはそんなことはできない。通路側に背を向けるなんて。
なぜなら、後ろから刀で斬りつけられた時に困るからである。 (おまえは桃太郎侍か。)
確かにニューヨークに刺客はいない。ついでに刀持って歩いてる人間もいな い(ちょっと大きめのナイフ持ってる人たちはいるけどね)。
しかしながら、私の中、いや、私の血の中には、敵に背を向けることを恐れ る何かが住んでいるのである。
カフェなどにひとりで行く時、私は必ずまわりが見回せる方の席に座るよう にしている。
今までは、これは私の個人的な好みだとばかり思っていた。ところが、今回 の事件に遭遇し、私はその考えを改めた。
私が、通路側に背を向けるのを恐れるのは、私の中にサムライの血が流れて いるからである。
これには、確信に近いものがある。
そして同時に、日本人の多くが私と同じような感覚を持っていると、強く信 じている。
今から数百年前、私たちのご先祖さまは、いつも背中に恐怖を感じながら生 きていたはずだ。
「いつぞ敵に後ろから斬りつけられるかも分からぬ。油断するでないぞ、辰 之介」
などと父上から訓示をたれられながら、私たちのご先祖様は大きくなったに ちがいない。
その恐怖感や教えが、私たちの血の中にはまだ生きているのである。
日本の歴史を体内に感じてしまう。
ふむ。
ちなみに、わたくし、ここ数日のあいだに、司馬遼太郎の本、6冊を読破い たしました。
それが今回の私の熱い思い入れに関係あるかどうかは、拙者には分からぬと ころでござる。
御免。
                      ひろ



3月1日号 NO.113
『NYウエイター物語』〜仕事探し5〜
「そう、スシ。簡単だよ」
突然の話だった。キッチンヘルパーに応募したつもりが、知らない間に「板 前にならないか」と説得されていた。
「普通の人が考えてるほどむずかしいもんじゃないよ、スシ握るって。金も そっちの方がいいし。元漁師なら魚だってさばけるし、すぐ握れるようにな るよ」
板前という職業には、魅力はなかった。また特にニューヨークの板前に関し ては、いいイメージがなかった。その時、私が日本食レストラン業界に対し て持っていた負のイメージの権化が、「板前」という人種だった。
「いや、板前はちょっと・・・」
「ダメ? 君ならいけると思うけどなあ」
「はあ、でもやっぱり無理じゃないかと・・・」
「そうかー。ダメか」
「スイマセン」
八城さんは、湯呑みに手をやり、お茶を一口飲んだ。
私は、テーブルの下で両手を握り締めたまま、八城さんの次のひとことを 待っていた。
「ん〜、じゃーやっぱり無理かなあー」
「・・・・・・」
とりあえず、ここはダメそうだった。私はその時すでに、次に当たるべき店 を頭の中でリスティングし始めていた。
「でも、一応、明日の今ごろに電話してください。電話番号は持ってますよ ね」
八城さんの言葉が急に丁寧語になった。それは、このインタビューの終わり を告げる合図だった。
「はい。今日はどうもありがとうございました」
「板前やれたらよかったんだけどなあ」
「・・・スイマセン」
そう言って私は立ち上がった。
足下に置いていたナップサックを拾い上げて肩にかけ、壁際のサンシンの ケースを手に持った。
私たちが立ち上がる気配を感じて、向こうのテーブルにいたウエイターやウ エイトレスたちがこちらを振り向いた。彼らは昼メシを食べてるようだっ た。
「それじゃ、今日はご苦労さま」
「こちらこそありがとうございました」
私はドアへと向かった。
そのドアを押し開けながら、少しだけ振り向くと、八城さんがウエイターや ウエイトレスが座っているテーブルに座るのが見えた。そして、ひとりの比 較的若いウエイトレスがまだ私の方を見ていた。
視線の合ったそのウエイトレスに軽く会釈をすると、向こうもちょっとだけ 頭を下げた。
外に出ると、空気が冷たくてヒヤッとした。
でも、それはなんでか分からないけど、その時の自分にはすごく心地よかっ た。
                       ひろ

「ぶりてんNuts」編集部


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