◆1998年2月第2週のぶりてんコラム◆
2月13日号 NO.105
『ニューヨーカーへの道』〜入国のカタチ3〜
「インドには、パスポートを破り捨ててしまった日本人がたくさんいるそう
な・・・」
インドを旅している時、そんな話をよく耳にしました。
これは、「日本へはもう帰りまっしぇん。どうにでもしてー」という意思表
示のようなものですね。
インドというところは、人間にやたらと物事を考えさせる空気を持っており
まして、それに飲み込まれてしまった方々が、上記の行動に出やすいと聞い
ております。
発作的に破り捨ててしまう方が多いようです。一種のドラッグ中毒みたいな
ものです。
では、ここニューヨークの日本人はいかがなものでしょうか。
これは私の友人から聞いた話です。
その友人が、同じレストランで働いてる日本人のおじさんとおしゃべりをし
ておりました。話のネタはパスポートについて。
しかしながら、このおじさんの口ぶりは、まるで自分がパスポートを持って
ないような雰囲気を漂わせておりました。
そこで、その友人は聞きました。
「パスポート、持ってないの?」
おじさんは、すかさず答えました。
「てっ、あんなもん危なくて持ってらんねえや!」
「・・・・・・・・」
ある意味で、パスポートを捨てて、どこのだれだか分からなくなってしまえ
ば、アメリカ国家は、強制送還しようにも、どこに送っていいか分からない
状況に追い込まれてしまいます。
それに、どのくらい不法滞在してるかも分かりませんしね。
開き直りの無敵野郎、といったところでしょうか。
しかしながら、このおじさんの場合は、ちゃんとした意志、つまり、
「てっ、あんなもん危なくて持ってらんねえや!」という目的意識の上での
行動ですから、インド風衝動的「どうにでもしてー」破り捨て派とは、
ちょっと違います。
おじさんの方が、よーく考えてます。
・・・・・・・・・・。
でも、その方がよっぽどコワかったりなんかして・・・・
それにしても、このおじさん、どうやってレストランで働いていたのでしょ
うか。
謎が静かに残ります。
徹
2月12日号 NO.104
『Prof. New York』
大学の中にあるカフェテリアというのは、生徒達の情報交換の場だ。
うちの大学のカフェテリアも、ポリッシュ、コリアン、そして我が
日本人どもがグループになって空き時間に飯などを食いながら喋っ
ていることが多い。
私もたまにそれに参加することがある。
この前も、知り合いたちが座っていたテーブルにつき、彼らの話を
聞いていた。そこで、1人の女性が言ったのだ。
「最近、何かホネのある男がいないのよね。」
私はその瞬間、パンに肉を挟んだだけというクソまずいハンバーガ
ーを落としそうになった。
男がマッチョでなくなってきている。これはみんなが感じているこ
とであると思う。しかし、これは女にとって喜ぶべきことであって
も、決して悲観的になることではないのだ。
女は多くの社会で抑圧されてきた。そして今、彼女らはこの男尊女
卑のシステムを変えて行こうと必死になっている。
でも、この男尊女卑、セクシズムの根底にあるのは、「男は強くな
ければならない。女はおしとやかでなくてはならない」というアイ
ディアだ。だから、現状を打破しようと思っているのなら、女は男
を弱くしなくてはならない。
今まで、女は「女はおしとやかでなくてはならない」という固定観
念を変えていくことにフォーカスを置いていたように思う。しかし
「男は強いものだ」という概念をほったらかしにしておくと、女に
とってかなりまずいことになる。
なぜなら、女が社会進出を計るということは、男にとってライヴァ
ルが増えるということである。強いと思っているままの男が自分の
ポジションをそう簡単に女に渡すとは思えない。
ま、そんなとこまで考える人間は少ないかもしれないが、女が強く
なることに対し、男が不快感を覚えるのは確かだ。
だからここで男を骨抜きにする必要があるのだ。現在、社会を牛耳
っている男の方を変えるのである。
そこでこの「オペレーション・男ホネ抜き」の登場である。
これはまず、女が男の子を産む、というところから始まる。そして、
その子がまだ喋れない頃から、「男はねー、おしとやかでなくちゃ
いけないのよ。人前で泣いても全然構わないのよ」と教育するので
ある。間違っても、「男なら泣くな!」とか、「男になれ!」とか
言ってはいけない。
今までの親が女の子にしてきた教育を、男の子にするのである。
母親の影響力というのは子供にとって絶大であるから、そういった
教育を施された男の子は間違いなくナヨナヨした男になる。絶対に
「俺についてこい!」タイプの男になることはないだろう。
さっきも言ったが、女が変わることに対し男は不快感を覚える。だ
から男は反発するのだ。この方法でいくと、女のイメージはそのま
まで、男の方が変わっているのだから男が女に対し不快感や不満を
持つことはない。
それに今の社会は男中心である。それゆえ、この作戦で男を変える
のだ。社会の中心を変えればおのずとその社会も変わっていく。
そして、この教育を3世代ほど繰り返し「男は強くなければいけな
い」という考えを持った輩がいなくなったら、この作戦は終了であ
る。
あとは、女性が好きなだけ暴れられる下地が出来上がっているに違
いない。
うーん、なんて素晴らしい作戦だ。我ながら感心してしまう。
しかし、私はこの素晴らしい作戦をカフェテリアの中で座っていた
女性には言わなかった。
なぜなら、女どもがマッチョな男を求めるかぎり、男はその期待に
こたえようと強くなり続けるからだ。ということは、この社会も男
性中心であり続ける。
私は日本人男性である。だから、日本の社会で生きていく限り、私
は差別されることもなく、社会の中心であり続けることができるの
だ。
この特権をやすやすと手放すほど私は馬鹿ではない!
だからみなさん、この事はくれぐれも内緒にしておいて下さい。
MediaBlitz
2月11日号 NO.103
『たわごとコラム』
そのちぢれ毛の彼女には、以前ニューヨークの日本食レストランでウエイ
ターをやってた頃に会った。
彼女は、そのレストランにときどきやってきた。そして私は彼女をいつもな
んとなーくながめていた。
理由は簡単。うちのかみさんに似てたからだ。
肌の色、肉の付き具合、背丈、そのちぢれた髪。そのどれもが、うちのかみ
さんとそっくりだった。
ついでに、彼女も有色人種と付き合っていた。
「ねえねえ、あのねえちゃん、うちのかみさんに似てない?」
仲間のウエイターによくそんなことを聞いた。
ウエイターを辞めた後も、そのちぢれ毛だけは私の記憶の中に残っていた。
そして、今回、私はサンフランシスコでちぢれ毛の女性を見た。それは、サ
ンフランシスコ市の西端、太平洋に面した崖の上にあるレストランでの出来
事だった。
外はバリバリのストームだった。それでも観光客でいっぱいのそのレストラ
ンの片隅で、私は窓腰に見える大荒れの太平洋をぼんやりと眺めていた。
ふと、入口を見ると、ちぢれ毛の女性が入ってきた。
「おや、ちぢれ毛ではありませんか。どこにでもおるのですね」
その彼女は、インド人風の男性と一緒だった。
「これまた有色人種の彼氏ですか。いやいや、ちぢれ毛の人は色付きオトコ
がお好きなんですかね」
そんなバカなことを考えてる私の前をふたりが通り過ぎた。
その時、私の身体に戦慄が走った。
彼女は、あの彼女だったのだ。
間違いない。私のいたレストランにときどき食べに来た、ちぢれ毛でうちの
かみさんによく似た女性。その彼女が、目の前を通り過ぎたのだ。
彼の顔にも見覚えがあった。
窓際の席に案内された彼らに追い付き、うしろからツンツンとやって、「す
いませーん、一体こんなところで何やってるんですかー?」と聞く勇気は私
にはなかった。
「ここは確かサンフランシスコだったような気がするんですけど・・・」
私は、ただただ茫然と、そのちぢれ毛を見つめていた。
その夜、私は、ちぢれ毛のオンナに追いかけられてる夢を見た・・・
ひろ
2月9日号 NO.102
『NYC Traffic Jam』
ニューヨークで一番よく使う交通機関は、と聞かれれば迷わず「歩
くこと」と私は答えるだろう。
マンハッタンというのは、それほど大きくなく、しかも私がよく行
くエリアというのは決まっていて、だいたいミッドタウンとダウン
タウンくらいだから、時間があれば歩いて用がたせるくらいの広さ
なのだ。
そういえば、むかしブロンクスを夜の12時に出発し, 夜中のハー
レムを通りマンハッタンの南部にあるチャイナタウンで朝、飲茶を
食ってきたツワモノもいた。
しかし、そんな奴等は例外中の例外なのでほっとこう。
この前も、いつものようにテクテク1人でミッドタウンを歩いてい
た。
そしてそのミッドタウンのビルの谷間で、私は彼と出会ったのだ。
彼の名前は「みの虫」。
私は彼を発見したその瞬間、口をポケ〜と開けて、しばし彼に見入
ってしまった。
アメリカンみの虫の彼は、日本のそれと全然変わりなく、相変わら
ず枯れ葉や小枝で作った蓑を見にまとい、葉っぱの落ちた木にブラ
ブラとぶら下がっていた。
もうものごっつ懐かしかった。ド田舎出身の私は子供の頃、彼とよ
く遊んだのだ。だから彼とはもう親友みたいなものだと私は思って
いる。
しかし、みの虫の方はそうは思ってないだろう。
なぜなら、私はみの虫を見つけるやいなや枝からもぎ取り、みのを
引き裂き、中に入っている毛のない毛虫みたいなやつを引きずり出
して、手の上でもて遊んでいたからだ。
いってみれば、いたいけな少年の服を脱がしイタズラをしていた変
態野郎が20年後、ニューヨークでばったりその少年に出会って、
「よぉ、元気?昔さぁ、よく服を脱がしてあげてたじゃん。久しぶ
り〜」と言っているようなものである。
もしそこで、そのみの虫君も「あ〜、久しぶりぃ〜」とでも言おう
ものなら、彼は心が大西洋のように広いか、彼自身も変態の素質が
あるかのどっちかである。
しかし、そのみの虫は何も言わなかった。彼は寡黙にただブラブラ
と、その枝からぶら下がっていただけだった。
彼はまだ私のことを許してはくれていないのだ。それも当然である
。私は、ずいぶんとひどい事を彼にしてきたのだから。
たぶん、私は死んだら地獄に行くだろう。そして極寒地獄で布団を
与えられ、その中でぬくぬくと寝入った瞬間、その布団を剥ぎ取ら
れ、寒風吹きすさぶ中、オロオロしてしまうに違いない。
そして、その時ようやく、私がもてあそんだみの虫君達の気持ちが
分かるのだ。
そうだ、きっとそうに違いない。それが私の死後の世界なのだ。
なんて馬鹿な事を漠然と考えて歩いた、1月のミッドタウンだった。
もしNYに来ることがあれば、マンハッタンを歩いてみる事を皆さ
んにお勧めする。昔お世話になったストーカーなどにバッタリ会っ
てしまう、なんて素敵なことが起こるかもしれないから。
MediaBlitz
2月8日号 NO.101
『たわごとコラム』
さて、ここにシャチの問題がある。
やぶからぼうに何じゃい、と思うかもしれないが、シャチなのだ。
以前、サンディエゴのシーワールドでシャチを見た。その時、その
知り合いに聞かれたのだ。
「おまえは、このシャチが幸せだと思うか?」
水槽の中で悠々と泳ぎ回るシャチ君を眺めながら、私は答えた。
「幸せなんかもしれんぞ」
その瞬間、その知り合いの額にちょっと青筋が見えたのだが、彼
は出来るだけの笑顔で言ったのだ、もしおまえがシャチならおま
えはこの水槽の中で一生を暮らしたいのか、と。
「もし私がシャチなら」答えはNOであろう。
しかし、それは人間としての自分がシャチの立場にいたら、という
前提のもとに成り立つ答えでしかない。
ここにいるシャチ君達は、すり鉢上になった会場でバカヅラをして
座っている人間どもに、バシャバシャと水をぶっかけてさえいれば、
食と住は確実に満たされるのである。こんな楽な仕事はない。
毎日毎日、エサを探してさまよう事もないのだ。
そういった意味で私は、幸せなのかもしれない、といったのだ。
私は、彼がが言わんとしているところ、「こんな所に閉じ込めら
れ、故郷である大海に帰ることの出来ないシャチがかわいそうだ」
というのも良くわかる。それは限りなく正しい。
しかしさっきも言ったが、それはあくまで人間の立場から考えた
シャチの気持ちである。
こんな事をいうと勘違いする人がいるかもしれないので先に断っ
ておくが、私は「シャチは知能が低いので人間が捕まえて飼って
やるべきだ」と言っているわけではないし、動物虐待を推進して
いるわけでもない。
でもよぅ、おらシャチじゃねぇ、だからシャチの気持ちはわかん
ねぇずら。
私はただ、この一言が言いたいのだ。
シャチ君達は、あのシーワールドの水槽の中で不満タラタラかも
しれないし、満足しているかもしれないし、全くなーんも考えて
ないかもしれない。
うーん、やっぱり一回シャチになってみるしかないな。
それでは来世でシャチになることを神様にお願いしよう。そして
来々世で人間に再び生まれ変わり、シャチの気持ちを皆さんにレ
ポートするで、それまでしばし待たれい・・・。
MediaBlitz
Return to Home Page