◆1998年12月第3週のぶりてんコラム◆
12月16日号 NO.207
『たわごとコラム』
男は、いつ、どの瞬間から「オヤジ」と呼ばれる動物に変身するのだろう
か。
先日、私は、その”瞬間”を経験したような気がするのである。
それは、ロスに出張に行ったときの出来事だった。
その夜、私は友人と飲んで、予約を入れていたホテル(日本人経営でフロン
トも日本人)に午前1時頃チェックインした。
フロントの日本人女性から渡された書類に必要事項をサラサラと書き込む。
飲んだといっても、ほとんど酔ってはいなかった。
書き込んだ書類を彼女に渡し、キーをくれるのをじっと待つ。目の前のロ
ビーには誰もいない。あたりは完全に静まりかえっていた。
シーーーーーーン。
その時、ある物音がした。
「プゥーーー」
なんと私はそこで屁をこいてしまったのである。
目の前の彼女の顔に一瞬驚きの表情が走る。
気まずい空気が、午前1時過ぎのロスに流れる。
しかし、である。私は顔の筋肉ひとつ動かさずに、そこに平然と立っていた
のだ。
そして私は、自分の靴のヒモがほどけてるのに気づき、まだ屁が漂う自分の
下半身あたりにゆっくりと腰を落としていったのである。
確かに、屁はまだそのあたりに漂っていた。
「くさい」
私は静かにそう思ったのである。
でも、そう思っただけで、そのことに関して別に罪悪感は感じなかった。
「彼女もこの臭いを共有しているかもしれない」とも思った。しかし、その
ことによって、私の心はビクとも揺れなかった。
私は立ち上がり、彼女から部屋のキーを受け取って、「おやすみなさい」と
いう言葉を残してルームナンバー118の方向に歩き始めた。
部屋に入り、荷物を置いて服を脱ぎ、シャワーを浴びるためにバスルーム
へ。
シャワーから勢いよく出るお湯に身をまかせ、ほっと一息ついたとき、私は
やっと自分が犯した罪に気がついたのである。
愕然としながら私は思った。
「オレはいつから女性の前で平然と屁をこくような人間になってしまったの
か・・・」
以前はこんな人間ではなかった。もし、女性の前で突発的に屁をこいたとし
ても、「失礼」ぐらいはいえる人間だったはずだ。それがいつから・・・
そういえば、最近日本食レストランなどでおしぼりをもらうと、首筋だけで
なく、脇の下まで拭きたい衝動にかられることがある。
「まさか、オレもとうとう”オヤジ”に・・・。そんなバカな。まだ32
じゃないか」
私は、熱い湯を浴びてそんな不安を晴らしたいと思い、お湯の取っ手を一気
にひねった。
「ギャーーーー!!」
静まりかえった午後1時15分ぐらいのロスに、30男の悲鳴がこだまし
た。
それ以後、私の頭の中には「オヤジ」疑惑が住み着いている。
今日も今日で、偶然通りがかったロックフェラー・センターのクリスマスツ
リーを見ながら、「そろそろ鍋がおいしい季節ですな」などと無意識に考え
る自分を発見して、危機感をつのらせる私なのであった。
ひろ
12月13日号 NO.206
『NYウエイター物語』〜開店3〜
ウエイター、ウエイトレスの全員がそのステーションのまわりに集まってき
た。
ヨシくんは蝶ネクタイを着けようとしている。メグロ氏はステーションの壁
に貼ってある紙から、メモ帳みたいなものに何かを書き写している。チヨさ
んもそうだ。ヤマモトくんとカヨちゃんはふたりでブツブツ話している。着
物姿のタミちゃんは、まだ例のガメラの攻撃が効いているようで、元気なさ
そに灰皿を紙ナプキンで拭いている。
私は、メグロ氏の指示をじっと待っていた。
さっき呼ばれてから何ひとつ具体的なことはいわれてなかった。呼んだの
は、とりあえずここにいろ、という意味だったのか。
「はい、オープンするよ。いいね。お客さん、すぐ来るからね」
カトウ氏は、まだその辺をウロウロしていた。他のみんなもうっとうしそう
だった。
ルルルルルル。
電話の鳴る音が聞こえる。
突然、カトウ氏は、ステーションにたまってたウエイター・ウエイトレスた
ちを押し退けて、壁の電話の受話器を取った。
「ハロー、スシマサ。・・・・あ、はい、ご予約ですか。少々お待ちくださ
い」
彼はホールドのボタンを押して、受話器を戻し、店の入口に向かって早足で
歩き始めた。
「ったく、落ち着けって」
メグロ氏が、カトウ氏の後ろ姿を見ながら、吐き捨てるようにいった。
年齢的には、メグロ氏よりカトウ氏のほうが上だろう。性格の悪さもおそら
くカトウ氏のほうが勝っている。
カトウ氏の、背筋をしゃんと伸ばして歩くその姿と、イジワルそうな目は、
まるで「アルプスの少女ハイジ」に出てくるクララの家庭教師、ロッテンマ
イヤーさんのようだった。
そういえば顔もなんとなく似ている。栄養失調のロッテンマイヤーさんと
いった感じだ。
店の入口の近くで受話器片手に予約を書き取ってる彼の姿を遠目に見なが
ら、私は「彼をこれから”ロッテンマイヤー・カトウ”と呼ぶことにしよ
う」と考えていた。
ロッテンマイヤー・カトウ。
なかなかヨーロッパ的なリングネームだ。もし彼がプロレスラーなら、繊細
かつ執拗な技使いを得意とすることだろう。
そのロッテンマイヤー・カトウが受話器を置いた。そして、彼の目の前のイ
スに座っている今日最初の客、メグロ氏から聞いた噂によると、これから愛
人が現われるはずのその日本人ビジネスマンに声をかけた。
その愛人待ちビジネスマンが立ち上がった。
「それではミツイシさん、参りますよ」
ロッテンマイヤー・カトウは、カウンターの一番入口寄りにいるミツイシ氏
に向かっていった。
「はい、いらっしゃいませ!」
ミツイシ氏がそれに答えるようにしていった。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ」
他の板前さん、そしてステーションにいたウエイター、ウエイトレスたち
も、ミツイシ氏のひとことに呼応するようにしてそういった。
腕時計を見ると、5時32分だった。
ひろ
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