◆98年1月第2週のぶりてんコラム◆




1月16日号 NO.86
『NYJJ=ニューヨーク在住日本国籍日本人』
ミニコミは、そのコミュニティの熟度を表わす。
ニューヨークの日本人社会にミニコミが続々と現われたのは、ここ3、4年 の話である。これは、当然ニューヨークの日本人社会が熟してきたことに関 連している。
また、それは同時に、以前とは違った人種がニューヨークに住み始めている ことを示している。
過去にさかのぼればさかのぼるほど、在NY日本人のアメリカ社会への同化意 識は高かったと言えるだろう。
ところが、ここ数年、ニューヨークの非常に軽い気持ちでやってくる日本人 が増えて来た。彼らのニューヨーク生活は、日本の延長線上にあり、他の日 本人や日本語に触れる機会が多い。
そんな彼らが、自分たちの意見や声を発信する場として、日本語ミニコミを 始めたのも当然と言えば当然である。
一時、ニューヨークでは10を越えるミニコミが発行されていた。
そして、その「第一次ミニコミ黄金期」は、去年終わりを迎えた。
さて、本日、「週刊Nuts」の姉妹紙「ぶりてんNuts」が、ここニューヨーク でドーンとデビューした。
タブロイド版4ページ。月刊で発行部数3千。クラシファイド、コラム、 イラスト、写真を掲載した、本格派ミニコミの登場である。
「週刊Nuts」がさきがけとなった「第一次ミニコミ黄金期」。はたして 「ぶりてんNuts」は、「第二次ミニコミ黄金期」に火をつけることができ るのか。
新移民法の影響で、すっかり元気のなくなったNYJJ社会。「ぶりてんNuts」 の登場によって、再び騒がしくなってくれるのを祈るのみである。
ミニコミさんたち、またまた出てらっしゃい。
                           風
 


1月15日号 NO.85
『Prof. New York』
私の予想とはかなり違っていた。
青い空、広いキャンパス、緑の芝生、そこに寝そべるブロンドのね ーちゃん・・・。
そんなものは一つもなかった。
そこは、ブロンクスにある某カレッジ。1993年夏、初めての留 学で期待に胸を膨らませ、意気揚々とやってきた私は、いきなり現 実に往復びんたをかまされたような気分だった。
その中にある色は、建物の灰色とこげ茶色のみ。キャンパスは狭い し、芝生も猫の額ほどのスペースしかない。
ま、当然といえば当然のことだった。
だってねぇ、ブロンクスですもの。カリフォルニアにあるような大 学キャンパスを期待した私が悪かったのよ・・・。
やはり、荒廃した場所には、それなりの大学があるのだ。
ブロンクスがどれぐらい荒廃していたかというのは、私のアパート から、そのキャンパスにたどり着くまでに落ちていた物でわかる。
割れたビン、使用後のコンドーム、壊れた注射器、そして大量の犬 のふん。
純粋だった私の心も少し荒廃した。
やり場のない怒りを覚えることがよくあった。二十歳過ぎて、うん こを踏んだ後の自己嫌悪感。私は、その気持ちを、大学の建物に靴 底のうんこを擦り付けることで紛らわせていた。
だから大学の建物はこげ茶の物が多かったのかもしれない。
外見がそんななら、生徒のレベルもそれなりだった。
最初のセメスターにとった数学のクラス。
たとえ英語の授業でも、数字は数字。まだまだ教授のしゃべる内容 を完璧には理解してなかったが、私は何とかついていっていた。
しかし、クラスメート達は素敵だった。自分達が理解できないのを 教授のせいにして、さらにアフリカ出身のその教授の訛りを指摘し 、馬鹿にする始末。
クラスメートの一人が「I have a question, man!」といった時、私 は密かに思った。
入る学校間違えたかもしれん。
その先生いじめはそのセメスターの最後まで続いた。
ある日、生徒がその教授の訛りはどこから来たのかという話になった 。あるアフリカン・アメリカンの生徒が質問した。
「あなたどこから来たのよ」
「南アフリカだ」
「だから、どこから来たかと聞いているのよ」
「南アフリカだ」
「ガハハハ、だ・か・ら、どこから来たかと私は聞いているの!」
「だから、南アフリカだ」
彼女は南アフリカ共和国を知らなかったらしい。
こんな大学でも、ひとつだけ栄光がある。
第二次世界大戦直後、UN(国連)が発足した当時の本部が、この大 学のキャンパスにあったのだ。
しかし、だからどうしたと言われれば、ただそれだけですとしか言 いようがありません。
        MediaBlitz



1月14日号 NO.84
『ニューヨーカーへの道』〜いざ、マンハッタンへ3〜
個人的な話をいたしますと、わたくしの場合は、まず最初にJFK空港からス タッテン・アイランドに入りました。
ほれ、あの自由の女神の向こう側に見える、俗にニューヨーカーが「 Forgotten Island」と呼んでおります、あの島ですよ。
毎年行なわれるニューヨーク・マラソンの出発地点と言えば分かりやすいで しょうか。
というわけで、私はドキドキのJFKあるいはラガーディア→マンハッタン入り というのを経験したことがございません。口惜しいところです。
しかしながら、初めてそのスタッテン・アイランドからマンハッタン入りし た時は、やはり感動の嵐でした。
そう、それは92年2月の雨の日のことでした。
最初は「South Ferry」に上陸したのですが、ここはわたくしの「マンハッ タン」ではありませんでした。目の前には、ワールド・トレード・センター がそびえたっておりましたが、個人的にこの双子ビルにはまったく興味がな く、サッサと地下鉄をつかまえたのを覚えております。
何と言っても私のマンハッタンは、「エンパイアー・ビル」でありました。
確か、メイシーズあたりの駅から地上に出ましたね。
すると雨が降っておりまして、「チッ、雨か」とわたくし、フッと空を見上 げたのであります。
そこに彼は立っておりました。
雨でトンガリ頭がかすかに霞んでおりましたが、ネズミ色の空の中で彼はズ ンと胸を張っておりました。
「ヨッ!」
彼はまるでそう言ってるようでした。
そんな彼に向かって、わたくしも右手を挙げて、
「ヨッ!」
と応えました。
そしたら、なんとエンパイアーがおじぎしたのです。
・・・・・・・。
最後の部分は作らせていただきました。
反省。                   徹



1月13日号 NO.83
『たわごとコラム』
先日、友人から聞いた話である。
彼女は、日本からの観光客。ニューヨークに約1ヵ月ほど滞在している。
日本では看護婦をやっていた。だからして、こちらの医療事情というのにも 当然興味があるわけである。
そこで、こちらで実際に現場で働いている人たちの話を聞くために、ある日 本人医師のオフィスに電話して、会う手筈をととのえた。
さて、当日。
挨拶の後、その医師は自分の経験談をトウトウと話し始めた。
そのうち、壁に飾ってある賞状を自慢し始めた。
その時である。彼の手が彼女の膝をぬちゃりと触ったのは。
彼女は、思った。
「やっべえー」
すぐさまその手を払いのけ、彼女は言った。
「では、そろそろ失礼します」
彼女は立ち上がり、お礼を言ってその場を去ろうとした。
その時である。彼は言った。
「最後に抱きしめてもいいですか」
*************
「ニューヨークって、いろんな人がいるんですね」
そういう彼女に私は「そうなのよ。だから気を付けるのよ」と言うしかな かった。
ニューヨークには、会ったばかりの女性に「最後に抱きしめてもいいです か」などという大胆なお願いをするような愚かな日本人医師が生息してい る。
やはり変態に国境はないのである。
                         ひろ



1月12日号 NO.82
『NYC Traffic Jam』
ニューヨークには2つのインド人街があります。
ひとつは6th ストリート, 1st と 2nd アヴェニューの間にありま す。ここには非インド人向けのレストランが多く、私たちの中にあ る「インド」を忠実に再現しようと努力しております。
クリスマスツリーをデコレートするような豆電球がレストランの端 から端まで悪趣味に飾られており、バックグランドミュージックは おねーちゃんがヒンドゥー語で「ホエ、ホエ、ホエ〜」と歌う、幻 想的な音楽を流しております。
しかし、笛を吹いて「レッドスネーク・カマ〜ン!」とやってくれ る所はどこにもありませんのでご注意下さい。
もうひとつのインド人街はレキシントン・アヴェニューと28th ス トリートが交差する付近にあります。ここには比較的チープなテイ クアウトの店が多く、6th ストリートのインド人街やチャイナ・タ ウンのようは商業的華々しさはありません。しかし、財布は軽いが 大食漢の私にとっては、こちらの方が数倍いとおしく感じられたり します。
今日、手を使って飯を食っているインド人をここで見ました。
タクシーから降りてきたところを見ると、彼もタクシー運転手の一 人なのでしょう。この辺りにはタクシー会社がたくさんあるのか、 ただ彼らが飯を食うだけなのか知りませんが、道端にたくさんのイ ェローキャブが止まり、インド人のタクシー運転手がたむろってい る姿をよく拝見いたします。
いやいや、ようやくタクシーの話が出てきましたね。「NYC Traffic Jam」なのになんで交通関係の話が出てこんのや!と思っていたこと でしょう。私も書きながら、いつになったらタクシーの話になるの かとヒヤヒヤしておりました。
余計なことは置いといて、話をタクシーとインド人に戻しましょう。
NYのタクシー運転手の多くはインド人で占められております。タク シーに乗ると3台に1台、いや2台に1台くらいの割合でインド人の 運転手にあたるほど、その数は多いのです。
その理由はですね、第三世界からの人々がアメリカに移住してくる そのプロセスと微妙に関係しているのです。
アメリカにいる移民は、ある一定の地域出身が多い、という事実があ ります。これは国のことを言っているのではなく、中国なら中国のあ る一定の地域のことをさしているのです。例えば、NYに住む中国人は 広東省のある地域出身者が多い、というように。
この現象を作り出す移民のプロセスは、まず誰かがアメリカに来る、 というところから始まるのです。彼らはここでシコシコ働いて生活の 基盤を作ります。そして、彼らにある程度余裕ができた時、彼らを頼 って、親、親族、友達、隣のおばはん、近所のおっさんなどが押しか けてくるのです。この人々はこの人々でまた同じ事を繰り返し、ネズ ミ算式にドドドっとコミュニティー・メンバーが増えていくのです。
そして、ビジネスを始めた者は、新しく来た移民をチープな労働力と して雇います。一方、移民もこれによって、アメリカに来たが職がな いでよ、という事態を免れることができるという、両者にとって非常 に都合のよい関係を作り上げるのでした。
そういった理由で、ある職種にある一定の人種がかたまり、タクシー の運転手にはインド人が多いという現象が見られるのです。
その、手を使ってカレーを食っていたインド人のおっさんも、同じプ ロセスを経てタクシーの運転手になったものと思われます。
しかし、彼は器用に手を使ってカレーを食っておりましたな。
インド人は左手でお尻を拭きます。ですからそのおっさんも右手だけ でライスとカレーと混ぜ合わせ、コネコネしたあと、親指を器用に使 ってライス団子を作り口まで運んでおりました。
このおっさんを眺めながら、ふと私は飯を食った直後のインド人と握 手しなくてはならなくなった状況を想像してしまいました。カレーが ついたギトギト右手、うんこを拭いた可能性のある左手・・・。
どちらの手を握るのか、答えは一生出そうにもありません。
       MediaBlitz

「ぶりてんNuts」編集部


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