◆1998年10月第1週のぶりてんコラム◆




10月7日号 NO.188
『NYウエイター物語』〜寿司政の人々11〜
そこはやはりキッチンだった。
ガチャガチャと金属物がお互いにぶつかり合う音が聞こえる。
ウエイトレスたちは、奇妙なカタチをした機械を洗ったり、冷凍庫っぽいも のに頭を突っ込んでなにやらやっている。さっき更衣室で黒人のチンチンの 話をしてたおばさんは、シンクで雑巾のようなものを洗っていた。確か名前 はチヨさんとかいったな。
「ったく、なんでイチイチあんなんこと言うんだろうね」
そのチヨさんが言った。
メグロ氏が聞く。
「なに? またトシコさん?」
「そう。いきなり入ってきてさ、タミちゃんに"あんた、挨拶が足りないわよ" だって。自分がやらないのに、他の人が挨拶するわけないじゃない、った く」
問題は、今私たちが遭遇したトシコ"ガメラ"カメダらしかった。
着物を着たタミちゃんと呼ばれている子は、横でブツブツ言いながらアイス クリームが入ったゴツいカップをスクープで掘っている。
「あたしって、目のカタキにされてるんです。前もいろいろ言われたことあ るし・・・」
「あの人は、若い女の子にはいつもそうなのよ。ヤキモチ焼いてんのよ、 若いから」
チヨさんが慰めるように言った。
「相変わらずだよなあ、あのババアは・・・」
メグロ氏が言った、その"ババア"という言葉が、ふたりの関係を如実に表して いるわね、と私は思った。
もうひとりのカヨちゃんというウエイトレスは無言のまま、そこにある鉄製 のテーブルの上を片付けている。
「ちょっとこっち入ってきて」
メグロ氏がキッチンの奥へと進みながら私に言った。
「あ、はい」
私は、アイスクリームのカップを冷凍庫の中に戻そうとしているタミちゃん の後ろ姿を横目に見ながら、メグロ氏に付いていった。
「おはようございますー」
メグロ氏がキッチン内の雑音に負けないくらいの声の大きさで言った。
「おはようございます」という言葉が、タイミングを少しずつずらしなが ら、いくつか聞こえてきた。その中には少しなまりのある「おはようござい ます」も混じっていた。
真ん中に鉄製のテーブルがあり、その周りをガスコンロやシンクなどが囲ん でいる。人々はそれぞれの場所に立ち、それぞれの仕事をしていた。
日本人はふたり。ひとりは痩せ形の小男で、もうひとりも痩せていたがこち らはかなり背か高かった。
チビとノッポ。その言葉がぴったりのふたりだった。
他は、ほとんどヒスパニック系だ。全部で4人。いや、ひとりはアジア系の ようだ。肌は浅黒いが、骨格がアジア人だ。
「タニグチさん、ちょっといいですか」
メグロ氏のその言葉に"チビ"のほうが振り向いた。
「げっ、こいつは・・・」
彼の顔を見た時、私は、そのタニグチという男性が"アイツ"であることに 気がついたのである。
        ひろ



10月5日号 NO.187
『ニューヨーカーへの道』〜NY情報収集法3〜
え〜、わたくしもニューヨークに住んで6年ほどになりますが、日系食料品 店などにある掲示板のはり紙は、ある意味その時代を表わしてると思うので あります。
イースト・ビレッジに、日本の渋谷にいるような日本人若い衆がグングン登 場し始めた頃から、急激に日系関係の掲示板のはり紙量が増えましたね。
昔からアパートのサブレットのはり紙はよく見たのですが、その頃から急激 に増加したような気がします。
その他にも、若い衆関係のパーティやコンサートなどの「お知らせ」はり紙 も頻繁に見られるようになりました。
また、彼らは結構ビジュアルに凝ったりしてまして、「物売り」はり紙の場 合、売りに出す商品の写真をカラープリントしたりなどの「文明の利器」を 使ったはり紙をよく見るようになったのもこの頃でした。
同時に「コンピューター売ります」はり紙も増えました。
2、3年前には、異業種交流会なるものが流行りまして、それに関するはり 紙がちまたに出回りました。一時期は、そういう交流会が5、6コありまし たね。
ただ、その交流会ブームも少しずつ下火になり、今でもやってるところはあ りますが、あの頃の勢いはもうないようです。
去年の9月頃は、例の移民法改正、要するに移民法が厳しくなる直前現象 で、やたらと「帰国セール」はり紙が目につきました。
そして、新移民法の罰則が適用され始めた直後は、各掲示板のはり紙量も一 挙に減りました。多くの人が日本に帰国したのですね。
6年前の日系掲示板状況と現在を比べますと、明らかにはり紙の量は増加して おります。特に仲間探し系」はり紙が増えてますね。前記の交流会だとか、 サークル、グループ活動などの募集あるいはお知らせのためのはり紙です。
これは、やはり「アメリカに来てまで日本人とつるむなんてイヤイヤ」症候 群が薄くなってきたせいでしょう。特に、イースト・ビレッジで日本人若い 衆を山ほど見るようになった頃から、日本人同士のネットワークなんちゅう もんが、誰に遠慮することもなく、堂々と出現し始めたのであります。
多くの日本語ミニコミが出現したのもこの頃でした。基本的にミニコミとい うのは、意見を掲載する掲示板みたいなものですから、当然ニューヨークの 日本人社会の「情報掲示板の歴史」にも組み込むべきですね。で、それらの ミニコミを始めたのは、前記の日本人若い衆だったのであります。
掲示板のはり紙が増えたり、ミニコミが出回ったりすることは、ニューヨー クに住む日本人にとって便利&お楽しみ度が上昇するわけですから、とって もモウケなのであります。
そういう意味で、イースト・ビレッジの日本人若い衆の存在は、この街の日 系掲示板の歴史に大きく影響を及ぼしておるのです。それもいい意味におい てですね。
パチパチパチパチ。
他の日本人軍団の方々も彼らを見習って、ニューヨークの日本人社会が少し でも住みやすくなるように努力してみたらいかがでしょうか。
       徹
               

「ぶりてんNuts」編集部


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